「with Elizabeth(エリザベスとともに)」はエリザベスさんにビザ(在留特別許可)を請願するための署名活動をスタート

10月22日(日)14時から、牛久駅前でスタンディングしました! エリザベスさんも参加!

東日本入国管理センター・通称牛久収容所のある牛久駅前でスタンディングを行いました。

日時:10月22日(日)14 時~15 時
場所:牛久駅東口広場

エリザベスさんご自身も参加し、共にスタンディングするために駆け付けていただいた方々、署名に応じていただいた方々、どうもありがとうございました!
「エリザベスさんの在留特別許可」を求める意見書」に関する、牛久市議会への請願署名の呼びかけを継続しておこないます。
ぜひ皆さまのご協力をお願いします!


10月22日(日)牛久スタンディングへのメッセージ

今回のスタンディングに向けて寄せられたメッセージです。
スタンディングで代読し、多くの方に読んでいただけるよう掲載します。

●aoi

こんにちは。今日は牛久スタンディングデモに参加できず、残念です。そして、いつかスタンディングデモをしなくてもよい社会に1秒でも早くなることを私はいつも祈っています。今日のスタンディングデモに参加してくださっている方、いつも活動をしてくださっている方、立ち止まって話を聞いてくださっている方、歩きながら耳だけ参加してくださっている方、ありがとうございます。

私は茨城県で生まれ育ちました。赤ちゃんから高校を卒業するまで、ずっとどこにも引っ越さずに、茨城県で18年間暮らしてきました。そのあとは地元である水戸から、離れたり、戻ったりを繰り返しています。それなのに、数年前まで牛久に入管があることを知らなかったのです。そして、入管の中で何が起きているのか、どんなひどいことが起こっているのか、それも恥ずかしいことに知りませんでした。何も知らされない状況、恐ろしい現実が表に出ないまま、皆の知らないところで起き続けている事実があることを知ったとき、とてつもない怒りと悲しみと痛みに襲われました。そして、同時に、こんなひどい事実を沢山の方々が知らないで生活をしていることにも、ひどいことが今この瞬間にも平然と続けられていることにも、大きな恐怖を感じたのです。

私は、どの国でも、どんな命でも、皆公平に安全に生きられる権利があるべきだと考えています。綺麗事だ、と言われても、理想論でしかない、と言われても、私が望むのはそれだけです。なので、私は、この国に住みたいと願う方々や、元にいた場所では迫害を受けるから、命を守るために逃げてきた方々にも、日本で生まれ育った方々と同じように、公平に、安全に生きられる権利があるべきだと考えています。生きる権利に、差別や格差があることはおかしいことです。

ずっと疑問に思っていることがあります。それは、入管がある県なのに、関心を持つ方々が少ないことです。入管がある県なのに、入管の問題についてあまり知られていないことです。そして、私が住む街、水戸は、外国人が多い街なのに、選挙の時、立候補する方々の言葉には「外国人」という言葉がないことです。選挙の時期になる度に、「また」と頭をうなだれています。

私の友達が、県外から遊びに来てくれた時、外国人の存在に気がついて、「水戸は外国人が多い街なの?」と、私に尋ねてくれました。私はそのことがとても嬉しくて、「そうなんだ。でも選挙の時、外国人について触れてる方はあまりいないんだ。ともに生活しているのにね」と伝えたら、「それは悲しいね。いないもの扱いにされてるね」と状況を把握してくれました。県外の友達が気づくのだから、県民が気づけないはずがない。私たちの生活に外国人が自然と馴染んでいる側面もあるのかもしれません。それはとても良いことです。でも同時に、私たちは、私たちの優位性や特権にあまりにも無自覚すぎるということです。

私たちが入管の存在に怯えたり、生活を脅かされたりすることがないのは、私たちはもうすでに「日本で生活してもいい」という権利を生まれながらに手に入れているからです。つまり、入管によって命を脅かされることはないということです。それは、私たちだけが手に入れられる権利であるべきなのでしょうか?「たまたま」他の国に生まれて、日本に移民してきた方や、「たまたま」戦争がある国に生まれ育って、命の危険があるから、命を守るために命からがら逃げてきた方や、「たまたま」在日であった方たちは、「たまたま」そうだったから、という理由で、日本にある最悪な法律や制度によって、抑圧をされたり、差別を受けたり、生活もままならない状況に追い込まれたり、命を奪われたりしても良いのでしょうか?

私はそう思いません。どんな方々でも、命や生活を守る上で必要な保障、その方がその方として生きることができる権利があるべきです。いつ何が起こるか分からなくて、びくびくし続ける生活をしないですむように、エリザベスさんに、そして、在留特別許可が必要な方々に、在留特別許可を一刻も早く与えてください。

そして、入管の中で起きているひどいことを今すぐにやめてください。私は断固反対します。

●Blake

エリザベスさんの活動と精神に敬意を表すとともに、彼女への在留特別許可(ビザ)を求めます。また、入管内でのすべての入国者への基本的人権を尊重した対応を求めます。 仮放免の処遇そのものにも、改善すべき点があると思います。 相手が誰であっても、自分がどんな立場でも、理不尽な暴力を振るうこと、衣食住と健康を損なわれることは許されません。人を人として扱うことはどんな施設でも最低限のことです。 エリザベスさんの在留特別許可(ビザ)を求めるとともに、入管の体制改善、エリザベスさんと同じ立場の人達への処遇改善を求めます。

●案納真里江

入管はまともな人権意識を持って判断を選択して欲しいです。命の重さに優劣を付けないで下さい。

●ハリー

「自分がされて嫌なことはしない、されて嬉しいことはどんどんやろう」
これは子どもの時に学んだことです。
日本政府は難民や移民に対してそれが出来ていないと思います。
しかるべき人にはしかるべき権利を。
エリザベスさんに賛同します。

●うひ

エリザベスさんの力強く、切迫した叫びが胸に焼き付いています。路上で、時には入管の現場で、その叫びを聞いてきました。エリザベスさんが「なんで!?なんで!?」と何度も何度も声を張り上げる時、自分の心臓まで張り裂けそうな、そんな気持ちになります。でも本当にこの単純な「なんで」という一言に全てが詰まっていると思います。なんで帰れない事情のある人を長期収容するのか、なんで働かせないのか、なんで自由に移動できないのか、なんで人間にとって当たり前であるはずの権利をもつことが許されないのか。こんなに単純なことが、入管法によって複雑にされていく。どんどんと脆弱な立場に立たされている人たちを追いやるあまりにもおかしすぎるシステム。エリザベスさんにビザを出すことはこのシステム是正への第一歩だと思います。本当に、人間を法に合わせるのではなく、法を人間に合わせてほしい。自分自身だけでなく、他のたくさんの被収容者や仮放免者とも手を取り合っているエリザベスさんの叫びをないものにさせたくない。入管は、言い訳ばかりせずに人の命を守れ!!

●もも

私は、東京都に子ども2人と、夫と4人で暮らしている桃と言います。

入管問題について私が知ったのは本当につい最近で、入管改悪法が決まってしまった時期でした。
ウィシュマさんが亡くなった時には私は政治に興味がなく
テレビにも新聞にも触れずに生きていて、ウィシュマさんが殺された事はあまり知らずにいました。多分どこかで聞いていたかもしれませんが、そんな酷いことがあったんだ。と一言思って終わってしまったんだと思います。
そんな過去の自分を、苦しく思います。

私には、ここ日本で生まれて生きている中で
たくさん特権を持っています。
そのことが、とても、苦しいです。
特権ひとつひとつが、自分の罪となったようで
移民、難民の方全てに、エリザベスさんに
人権を与えないこの国で特権をもつ自分はその特権のせいでものすごい加害者でいる
生きている意味が自分には無いのではないかと考えるほど苦しいです。

でも
私が日本のルーツを持つ両親から生まれたことは、罪ではないはずです。

それと同時に、エリザベスさんがどこで生まれたかも、それは罪ではありません。
口に出すことすら、馬鹿らしいなと思います。

いま、パレスチナでとても悲しいことが起こっていて
毎日そのことを考えています。

日本で、3歳の子どもがバスに置き去りにされ亡くなった事件がありました。
初めてその日に、自分1人で胸のボタンをしめられたその子が
締め切られたバスの中で、汗でくっついた上半身の服を全て自分で脱ぎ、水筒の水も空っぽになって
死んでいた事件に
多くの人が悲しんだと思います。怒りに震えたと思います。

なぜその子の死と、
他の国の子どもの死で、違う感情になってしまうんでしょうか。

どんどん食材の値段が上がって、毎日一食食べられるか食べられないかのお家が今ここ日本にもたくさんあって
病気や自死で死んでしまう人がいる、
過労死ラインをいまだに越えて働かせられる人がいる、そうしないと生きていけない人がいる

そんな必死に生きている私たちと
エリザベスさんとの違いってなんでしょうか。

なぜ、共に生きようと、思えないのでしょうか。
他人が怖い気持ちも、理解出来ない気持ちもあっていいと思います。
それでも、人権だけは、命だけは絶対に奪ってはいけないと強く思います。
全ての人に、人間らしく生きる権利と保障をください。
その勇気を、入管で働く人たちにも、持ってほしいと願います。

●Chiharu

日本で30年以上暮らしているエリザベスさんが未だ仮放免であることがあって良いのでしょうか。
働く許可も得られず、国の保険にも入ることができない。
それは生きる許可が得られないという事ではないでしょうか。
日本に住むみんなと共に生きるエリザベスさんの生きる権利をどうか奪わないで下さい。
エリザベスさんに在留特別許可を。

●春日そら

差別と暴力と戦争は、すべてつながっています。世界が暴力と無関心で覆われている今だからこそ、エリザベスさんの言葉を多くの人に知って欲しいと思います。長いことこの国に暮らし、いなくてはならない存在であるエリザベスさんに在留資格を。日本政府は当たり前のことを当たり前にやってほしい、と心から思います。

●とれたてクラブ

私がエリザベスさんのお話を初めて聴いたのは、LUSH原宿店で行われた入管法改悪に反対するワークショップにてでした。
その頃はまだ入管法改悪案が採決される前で、自分は入管で起きていることについて全くの無知でした。ちょうど私はフェミニズムにより、自分が受けてきた暴力による傷から、回復できてきた頃でした。自分の被害に向き合ったことで、自分が加担してしまった加害を見つめられるようになったのだと思います。

エリザベスさんは当日、収容され保険が使えないために病状が悪化し亡くなってしまった女性について、涙を流しながらお話してくれました。
入管で行われている非人道的な行為について、私は知りませんでした。理由もわからないビザの消失により、働けなくなることを知りませんでした。仮放免中に病気になると、保険証を使えないことを知りませんでした。収容者への虐待や暴力をニュースで垣間見ながらも、遠い存在のように思っていました。日本のニュースでの収容者に対する「犯罪者」のような印象付けを、どこか鵜呑みにしていました。エリザベスさんが故郷でのFGMや少数民族の虐殺から逃れて日本にやってきたことを、知りませんでした。LUSHでのイベントに来るために、県境をまたぐ許可の請求書面を提出しなければならないことを、知りませんでした。

私は極悪人ではありません。また、複数のマイノリティ属性を持っていて、差別から受ける暴力がどのような痛みなのか、個人の経験として知っています。
それでも知らずに生きることで、暴力を隠蔽する一部として、エリザベスさんの、難民の、仮放免者の、収容者の、自由を、尊厳を、奪っていました。

ナチスドイツの収容所にて行われていたことを、ドイツ市民は「知らなかった」といいます。

既に亡くなってしまった方、辛い状況に陥っている方のことを思うと、「遅くない」とは言えません。
しかし、自分たちの力が暴力に繋がると自覚すること、自覚した暴力をやめるためにエネルギーを使うことは、恥ずかしいことではありません。恥ずかしいとすれば、これまでしてきた決定や行動が暴力に繋がっていると気づきながら、その感覚を無視してしまうことです。
そして暴力を止めても、人種主義者の表現でいう”にほんじん”として生きる私たちは死にません。
どうかエリザベスさんへの在留特別許可をお願いします。

●匿名

今回のデモには参加出来ませんが、難民がきちんと保護される、本来あるべき入管法に改善されることを願う一市民です。
ご自身も大変な状況に置かれている中、入管に閉じ込められている他の難民の方のために行動をしているエリザベスさんを、とても尊敬しています。
一刻も早くエリザベスさんにビザが下りますように。

●Aさん

その者が在りたいと思う場所で居られない、生きる場所を奪うことはあってはならないことです。エリザベスさんがエリザベスさんの望む場所で、エリザベスさんらしく生きられること、エリザベスさんと似た境遇にあるすべての方たちがのぞんだ在り方で在れることを必ず。ビザを発行しないという暴力をやめてください。

●D

エリザベスさんへの在留特別許可を求めます。
どんな方にも、生きたい場所で生きていく権利があること、差別や暴力から逃れる権利があると思うからです。難民については国際条約でも保障されています。
また、入管の暴力、仮放免の処遇に改善を求めます。
そして、この方は日本に長く住んでいて日本の文化に親しんで理解があるから、この方は経済的に貢献してくれるから、などといった同化や生産性の観点でいかなる方の価値を測らないでください。

●匿名

No Human is Illegal.

わたしは女性性器切除の強制から逃れ、自らが難民認定申請者でありながら、入管収容施設に面会活動を続けるエリザベスさんに対して、人道配慮による「在留特別許可」を求めます。

誰しもが持つ、この地球上でたった1人の人であるという存在価値。そして生きる権利。

それを奪わないでください。

●アリサ

私は前に働いていた会社で、オブエザ・エリザベス・アルウォリオさんのお話を聞く機会をいただいたことがあるものです。

エリザベスさんは、自らの生活や運動を通して見てきた「移民・難民」「入管問題」についてたった数時間講演をするために、入管から移動許可を得て来てくださいました。

このように、何をするにしても、自身の権利を訴えるためでさえ、「管理」をされる側として扱われている人たちが既に多くいる現状に対し、

どちらかといえば自主的に情報にアクセスしやすいはずの立場にいる人々が、「入管ってなに?」などと、知ろうともせず無邪気に疑問を発する様子を見ると、その非対称が存在することに、強く憤りを感じます。

「同じ命だから」「同じ人間だから」
大事にしましょう。尊重しましょう。

もちろんその通りです。

ですが、みな平等であるべき、人間としての尊厳が守られるかということにおいて、圧倒的な違いをつけさせてしまっているのは、他でもない私たちなのではないでしょうか。

入管は今すぐに収容者や仮放免者に対する非人道的な扱いをやめてください。

そして、帰る場所は他になく、既に日本でともに暮らしている、エリザベスさんをはじめとする全ての人々に在留資格を。

●かぜの谷のふうか

こんにちは。
会社員をしている者です。

エリザベスさんとお会いしたことはないけれど、日本に来てくれて、そしてそれから長い間、すごく厳しい状況に置かれているのに、この場所で暮らし続けてくださっていることにありがとうございますと、まずエリザベスさんにお伝えしたいです。

長い間、この問題について知らずに何もせずにいたことを申し訳なく思います。

そして、続けて、入管に対して今すぐにエリザベスさん在留特別許可を出すことを求めます。

エリザベスさんをこの国から追い出してしまえば、その大切な命が奪われてしまうかもしれないということ。そういう危険に晒す判断を下すということ。それが取り返しのつかない過ちだということが分かりませんか。

仮放免での生活ができいるから問題がないとでもお考えなのでしょうか。

働くことができない。隣で暮らす人が当たり前にできていることが自分には許されない、そういった悔しさを想像してください。

しかも許されないそれらは、生きるために必要な選択肢であるということ。

仮放免というステータスの状態に置くということ。それは、あなたの命には価値がないのだと日本の制度、社会から刻印を押しているということなのではないでしょうか。

そんな事を続けてはならないですよね。
そんな苦しみを与え続けていいはずがないですよね。

個人的な話ですが、わたしは自身が誤った選択をして取り返しがつかなくなって、立ち止まるのに、そして引き返すことができなくなってしまうようなことがあります。

そういう時、誤った選択をしているということにも、そしてそれを繰り返してしまうことが自分自身を傷つけている状態にとても辛く感じます。

正しい選択を選ぶことができない人間なんだと、自分を諦めることが辛い。

そんなメンタリティなのかどうか、全く分からないけれど、人から生きるための権利を奪うという選択をしなければいけない状況に置かれるということも一人ひとりの心を傷つけているのではないのか…とも思います。

わたしは自分の所属する国がそんな判断をしているということ、そういった判断支持しているわけではないのに、声が無視され続け、継続されていることもとても辛いと感じています。

どうか正しい選択をするための道筋を探してください。

エリザベスさんからこれ以上、当たり前にあるはずべき権利を奪わないでください。

エリザベスさんの声を妨げずに、ちゃんと聞いて、受け止めてください。

エリザベスさんと共に一緒に生きたいと思っている人たちの声も無視しないでください。

お願いします。