【開催】
2023年3月7日(火)午後3:15~
都内会場にて
【主催】
with Elizabeth
(エリザベスさんを支援する市民グループ)
【同席】
オブエザ・エリザベス・アルオリウォさん
弁護士 指宿昭一氏
弁護士 駒井知会氏
(※3本目の動画の7分30秒あたりから、4本目の動画にかけて発言しています。)
私のためにみんな来てくれてありがとう。私は日本人が好き。みんなやさしい。
私は今32年日本にいる。最初つかまったのは2011年1月、東京入管。その時収容されていたみんなは私を見てびっくり。「どうしてここにいるの?」私はそれまでいつも面会に行ってみんな泣いて私も泣いていたから、みんなは私がビザを持っていると思っていた。みんなびっくり。
それから2月24日に牛久の東日本センターに行った。東京入管から移されたのは私がみんなを元気づけたから、入管はここにいられたら困ると思ったのだと思う。3月11日、地震があった。職員は逃げて私たちは鍵のかかった部屋でパニックになった。みんな泣いているので私はみんなに「あなたたち、自分の神様がいるでしょ。仏教もイスラム教もキリスト教もみんな神様に祈りなさい」と声をかけて励ました。
2011年10月に出所して2016年にまたつかまった。その時は大阪入管と名古屋入管の収容者に面会に行った。大阪入管で足を折った人に面会、治療を受けていないので、病院に連れて行くように言った。そして偉い人に抗議した。それが理由で東京入管に収容された。ここへ来てから仮放免。
今日記者会見があるのに入管に移動許可をもらいに行かないと茨城を出られない。なぜ?私は日本に32年居る。いろいろやっている。日本人も助ける。毎日助ける。毎日電話がくる。困った人がいると誰でも国籍関係なく助ける。でもビザ出ない。
品川に収容されていたブルキナファソ・ウガンダ・ミャンマーの人たちが名古屋に移された。その人たちがウィシュマさんに私のことを話した。ウィシュマさんから私に「私は元気がない。エリザベスに会いたい」と電話が3回来た。私は入管に移動許可をもらいに行った。何回行っても許可が出なかった。コロナじゃない、旅行じゃない、遊びじゃない、面会に行くだけ。普通は出るのに出なかった。入管はウィシュマさんに会わせたくなかったのだと思う。
土曜日教会に行く電車の中でウィシュマさんが死んだという連絡を聞いた。おー!今日(3月7日)は国会前で(入管法改悪反対の)デモがあるが私は行けない。この記者会見に来るためだけの許可だから。違反すると捕まる可能性があるから。
私は入管、刑務所、拘置所、いろんなところに面会に行く。刑務所では死刑囚にも面会する。刑務所のボスは見ていて「エリザベスありがとう」という。入管は言わない。
日本は平和だから住んでいる。日本人はやさしい。私を好きでいてくれる。私は何にも悪いことをしていない。なのになぜビザを出さない。私は平安が欲しい。いろんな活動をするためにビザがほしい。
ありがとうございました。
(※動画1本目)
三井(司会・with Elizabethメンバー)
私は活動のメンバーのひとりである三井です。今日の司会をやらせていただきます。よろしくお願いいたします。
今日の発言者を紹介いたします。真ん中に座っていらっしゃるのが、オブザ・エリザベス・アルオリウォさんです。その左側がエリザベスさんの代理人である指宿弁護士と駒井弁護士です。右がこの活動をはじめた柳沢さんと私たちのメンバーです。あとでお話しさせていただきたいと思います。
早速ですが柳沢さんから、この活動の背景や経過についてお話しさせていただきたいと思います。
柳沢(with Elizabethメンバー)
みなさんこんにちは。お忙しいところ、いろいろな政治的課題がある中で今日来てくださって、ありがとうございます。私はwith Elizabeth というグループを茨城県の笠間という町で立ち上げた者の一人です。NHKの「エリザベスこの世界に愛を」というETVの番組を観たのがきっかけでした。
番組で、エリザベスさんが一人で、日本で難民申請をしている人たち、また日本にやって来て、難民と認められないまま暮らしている人たちをいろんなところで支えていると知りました。拘置所であったり、日本に来てすぐに飛行場で捕まったり、申請しているけれどいつまで経っても認定されない人だったり。実際には入管に収容されていないけれど日本の中で、非常に困難な生活している人たちの存在を知りました。日本の中で、正式には認められていないけれども、実際には生活している人たちをエリザベスさんが支えているという状況をこの番組で知りました。
そこでエリザベスさんに連絡を取り、彼女が同じ茨城県に住んでいることを知り、同じ県内ならば、入管の許可を得なくてもエリザベスが私たちの所に来られるし、私たちも彼女を自由に訪問できるということがわかりました。それで彼女を元気づける、もう少し生活的なところでの時間を広げて、サポートするみんなと一緒に過ごしてもらおうと思い、with Elizabeth(エリザベスとともに)を始めたのです。
with Elizabeth という言葉はエリザベスとともに立つ、エリザベスの隣に立つ、みんなで支援する、という気持ちを表すものです。エリザベスさん自身の今までのことやこれからのことは、弁護士さんから、あるいはご本人からお話があると思いますので、短く言います。彼女が日本にきた時ははもうすでにおとなになっていて、24歳でした。
1991年のことです。今は2023年です。この3月22日で彼女が日本に来てから32年になります。32年の間に彼女は2回入管施設に収容された。しかもその2回の収容がそれぞれ10カ月もの長い間です。東京では品川に、茨城では牛久の入管施設に収容されました。中に入ってどんな暮らしかを知った。そして外に出てから彼らの応援を始めた。収容されている人は一人で戦っているわけだからと、毎週のように牛久入管に行って、食べ物をあるいは本、中に入っている人たちに必要なものを持って行ったり、一緒に座って話を聞いたりということを、ほんとうに長い間やってきたのです。
私たちもwith Elizabeth のグループで実際に牛久入管にエリザベスといっしょに行って、中に入っている人たちがほんとうに彼女に信頼感を持っていろんなことを話している、いろんなことを頼んでいる、彼女もいろんなことを聞く、そして、ときには「これじゃだめだよ」と中に入っている人に怒ったり、元気づけたりしている。そういう姿を見て、本当にエリザベスは苦境にいる人たちを理解し、励ましていると知りました。
そして、そんなエリザベスを励ましたい、私たちもそこに繋がりたいと思って活動してきました。
エリザベスは日本に来て32年になるのですけれども、実際の彼女の暮らしは本当にシンプルなもので、収監されている人たちの話を聞く、助ける、力づけるということと、神さまに祈ること。極端に言うとほんとうに、この二つだけで32年間過ごしてきたのではないかと思います。
私たちとしては、エリザベスさんが少しでも早く難民と認められてほしい。難民申請は1回しているのですがダメになっている。現在2度目の難民申請をしているけれど、どうなるかわからないという状態に今エリザベスさんがいると聞いています。
私たちは、難民資格を得るのとは別に、特別在留許可を得るという手段があると知りました。これは難民として認められるということとは別で、特別に在留することが許可される資格。私たちはそれでもいいと思うのです。5年の在留許可がとれればいいけれど、もし取れなければ、1年でもいいから、とにかく彼女がちゃんと働いて、税金払って、そして健康保険も受けられて、そして失業保険も受けられて、本当に日本の国のシステムの中に受け入れられるという生存権を彼女に与えてほしい。彼女はそれを得て当然だと思います。
エリザベエスさんは32年間も日本で生きてきたのです。生まれた子どもが大人になって働く暮らしをしている時間です。32年という時間はほんとうに長いものです。24歳から56歳までずっと不安な状態で生きてきたわけですから、もう本当にこれ以上彼女の人生の時間を無駄にしないでと言いたい。
そこでわたしたちは今回「エリザベスさんに在留特別許可を!」というキャンペーンを張ることに決めました。Change.org で一人でも多くの署名をいただいてそれを法務大臣に届けようと思っています。なんとかエリザベスさんに在留特別許可を得てほしいという思いで、皆さんにお集りいただきました。どうぞ、よろしくお願いいたします。
(※動画2本目)
指宿弁護士
もう10年以上エリザベスさんの代理人をやっています。当初エリザベスさんは再審情願という手続きで、在留特別許可を求めていました。最初から難民申請をしなかった理由はいろいろ事情があって、まずFGMを理由とした難民申請はなかなか認められにくい。それも含めてそもそも日本で難民として認められることがほとんどないことは皆さんご存じだと思います。それで在留特別許可を求めていましたがそれがだめで、結局難民申請を行い、1回目はだめで、今2回目を行っています。
エリザベスさんは日本に来て最初は短期滞在の在留資格でいましたが、それが切れてしまって在留資格のない状態、オーバーステイになりました。それで退去強制の対象になっています。ただ入管法の中でも人道的な配慮に基づいて在留特別許可が得られれば日本にいることができる。ただそれが認められなかった。そして難民申請で難民として認められればやはり在留資格が得られるわけです。難民申請の手続きのなかでもう一つの可能性があって、難民としては認めないけれども国に帰ったら危ないとか、日本に定着しているとか、そういった人道的な配慮を行って、在留特別許可が得られる可能性があります。
今回の署名は在留特別許可のほうに焦点を絞って行っています。それはなぜかということですが、在留特別許可を出すかどうかは法務大臣の権限です。もちろん法務大臣が一つ一つ検討するわけではなく、入管の幹部が判断するわけですけど、入管はなぜか非常に世論というか、多くの人がその人が日本に居続けることを望んでいるかどうかを気にします。いい意味でも悪い意味でも気にします。実際私が入管の幹部と話して、別の方の話ですが、この人に在留資格を与えるべきでしょと言ったところ、いや、日本の国民の意識はそうではないんですよ、だから我々もそういう判断はなかなかできないんですと言われたことが何度かあります。
逆に私が昔支援していたイラン人の一家の人たちは、地元で署名活動をやり署名がどんどん集まって、地方のメディアですが報道もされて、多くの人がその家族に在留資格を与えてほしいと考えていることが十分入管にアピールできた。それでその家族には在留資格が出たんですね。世論を気にして判断をするということが果たしていいのかどうかという問題はあるんですが、現実問題としてこれは大きな力になる。私はエリザベスさんはまず難民として速やかに認定すべきだし、すべきケースだと思っています。国に帰ったら命が危ない。100歩譲って、難民として認められないにしても、日本にこれだけ定着して、多くの人たちの役に立つ活動を一生懸命やってきて、日本に友人がたくさんいる、支えられている、with Elizabethのようなグループもできている、そのことを形として示したい。それを示す形がこの署名活動というものになると思います。ぜひ多くの方に署名活動に参加していただいて、日本社会にエリザベスさんが必要なんだということを法務大臣に伝えたいと思います。
話が飛びますが、昨日は名古屋入管で亡くなったウイッシュマ・サンダマリさんの三回忌でした。私も日曜日に愛知県のお寺に行ってお弔いをしてきたんですが、実はウイッシュマさんはエリザベスさんと会ったことはないのですが電話で話してるんですよ。ウイッシュマさんからエリザベスさんの携帯に電話が入って、そして会いに行く約束もした。ただ入管が旅行許可を出さなかったりして、最終的には生きているうちに会うことができなかった。お葬式にエリザベスさんが行き、そこで初めて対面できて、妹さんたちの肩を抱いて励ましていました。そういう活動を日本中で熱心にやっている人なんですよ。いつも自分のことよりもほかの人のことを心配している。
エリザベスさんが牛久の入管に収容されている時に、代理人の私のところに時々電話がかかってくるんですけど、自分のことじゃなくて、同じブロックで体調が悪いのに治療してもらえない人がいるといった話ばかり言っている。あなた、自分が仮放免で出ることをもっと考えたほうがいいよ、と言ったことがあるくらいです。エリザベスさんは今かなり体調も悪くなっているし、今の状況だととても心配です。社会保険がないというのは決定的に大変。なんとかエリザベスさんに在留資格を得てもらって、ちゃんと体と心のケアをして、それで今のような活動を続けるのもよし、仕事をするもよし、そういう普通の人としての人生を歩んでほしいと心から思っています。ぜひこの署名活動にご協力いただきたく、報道機関のみなさまにはいろいろな形で報道していただければと思います。
(※動画3本目)
駒井弁護士
エリザベスさんは実は2回来日されています。1回目は1991年3月ごろに来日し、その後どうしてもナイジェリアの家族に会いたいというお気持ちが強く、いったんナイジェリアのラゴス空港に行ったのですが、その時電話で親戚からあぶないから帰ってきてはだめだと言われて、泣く泣く空港を離れ、第三国でしばらく過ごしてからまた日本へ戻ってきた。そこからが日にちがはっきりしていて、1995年2月22日以来ずっと日本で暮らしています。そして2006年に東京入管に出頭、2011年1月に退去強制令書が出ます。彼女は2回難民申請をしていて、1回目は2012年6月、もう1回が2017年の5月になります。今2回目の難民申請を行っていて、私たちは何とか難民認定をとりたいと頑張っています。
彼女にはいくつか絶対に帰れない理由があります。一つは彼女自身がFGM(女性性器切除)の恐ろしい魔の手から逃げてきたこと、もう1点目は申し上げられませんが非常に深刻な事情を抱えています。また3点目は、彼女自身がビアフラ先住民というグループの日本におけるリーダーの一人としてナイジェリア政府の人権侵害に非常に強い抗議を展開しているということがあります。ナイジェリア大使館の前でも彼女はアピールをしています。はっきり言ってとても帰国はさせられない状況です。
そして今日閣議決定されたと報道があった入管法の改悪案ですが、もしこれが通ってしまえば3回目以降の難民申請者については手続き中でも原則として強制送還ができるようになるわけです。もちろん私たちは今回の難民認定手続きに全力を尽くしますが、正直この国にあっては、どう考えても難民として認められないとおかしいという人たちがどんどん認められずに不認定という烙印を押されてきた歴史と、そして現在の状況がありますので、彼女はこの改悪において恐ろしい影響を受ける可能性のある人です。もちろん私たちは守らなければならない。だからこそ今回多くの方々が入管法改悪反対を叫んでくださっているし、そして何よりもエリザベスさんに在留特別許可をと声をあげて下さっているわけです。
私自身も東日本入管センターや東京入管で面会を行っていますが、ものすごい頻度で彼女と会います。彼女に電話が通じないときはむしろ収容施設に行けば会えるんじゃないかと思うくらい、本当にしょっちゅう会います。彼女の活動は極めて尊いものです。被収容者の方々は本当に絶望感に満ちています。その人たちに自死をさせないということはとても重要なことです。私も自分の依頼者に次に私が来るまで絶対生きていなきゃだめだよと言い聞かせて面会をしていますが、彼女自身がすでに多くの命を救って現在に至っているということは皆さんに申し上げたい。病が重い被収容者について、入管の職員にお医者さんに見せてやってと一生懸命かけ合っている彼女を何度も目にしています。また、それだけではなく、仮放免中で絶望のどん底にいる人たちに、希望をもちなさいとずっと声掛けしています。
彼女自身が実は仮放免者であるにもかかわらず、落ち込んでいる仮放免者の方々になんとか明日への希望を持ってもらおうと懸命に声をかけている。家のない人に自分の家を提供したりしています。一生懸命にその人たちの命と尊厳を救うための活動を毎日行っています。私のところにも頻繁に電話とメッセージがきます。こういう人が今捕まっている、収容されている、苦しんでいる、弁護士が必要だ、面会に行ってくれ、仮放免の人たちについても相談に乗ってやってくれとしょっちゅう言われます。どれだけ彼女が周囲の人たち、見知らぬ人たちも含めて、愛情を注いでいるかということがわかるわけです。
帰国は彼女にとって危険や迫害との直面を意味します。絶対日本にいてもらわないと困る。しかしそれを度外視したとしても、私たち日本の市民のために彼女にはぜひ日本にいてほしい。彼女は自分で自分を守りません。だから私たちが守っていくしかない。彼女は人のことばかり気にしています。だから彼女が自分を守らない分、私たちが彼女を守らなければならない。今回市民の方々、支援者の方々がさらにもう一歩前に出て、こうやってみなさんの前でエリザベスさんをともに守りましょうと声をあげて下さったことを大変うれしく思っています。エリザベスさんのためにも、また私たち自身の社会が優しさを失わないためにも、エリザベスさんが在留特別許可を必ず得るよう、ご一緒に頑張っていきたいと思います。
※動画はまだアップできていませんが、文字起こししたものを掲載します。ぜひ、お読みください。
※質問はそれぞれの記者からのものです。
Q1
—— 入管幹部の方が、法律改定に関して「日本の国民の意識」を理由の1つとしてあげたというのは、本心からと感じましたか、それとも大義名分と感じましたか?
指宿
「半分言い訳に聞こえましたけど、ただ全く言い訳で言っているのではなくて半分本心からという気はしました。やはり世論というか日本の市民の声を気にしている、ということは感じました。ただ、プラス面で言っているというよりも、言葉の端々に日本の国民は外国人で冷たい冷たいんですよ、厳しいんですよ、そのことを入管としては無視できないんですよという、マイナス方向で配慮しているというニュアンスを感じました。」
—— 残り半分、本心ではない隠している部分というのはなんでしょうか。これだけ不条理な状況がある中で、変えようとしていない彼らの考えを何が支えているのでしょうか?
指宿
「自分たちのやってることは基本的に正しいのだという信念みたいのがあって、プラス日本の市民国民というのは外国人に厳しい。だからあなたのいう人道配慮とかは、日本の市民国民には通らないんですよ、ということを言いたいのだと思います。その根底にあるのは、自分たちがこの方針でやっていると言う、そっちが正しいだというのがメインではないでしょうか。」
Q2
—— 入管はこの在住特別許可のガイドラインというものを出して人道配慮で出しますと説明していますが、あまり機能していないと思います。この請願署名にしても、どのへんをいちばん入管に対してアピールしたら効果的とお考えでしょうか?
指宿
「まず前提としてエリザベスさんに在留特別許可は出てしかるべきですし、普通でしたら署名活動をしなくても出るはずだと思っています。過去、2003年以降に在特がすごく出されていた時期であれば出ていたはずの人だと思います。だけど今は出なくなっている。それをこじ開けるために、いわば補完的に署名を集めていると私は考えています。だからもともと入管のガイドラインから見て、無理な人を押し込もうと言うのではない。むしろ出て当然の人、特に帰国すると危険であるし、犯罪歴もない。つまりマイナス要素がないエリザベスさんに在特を出すことに何ら躊躇することはないはずだ、その後押しをするための署名活動だと私は考えています。」
駒井
「長期間日本に滞在期間が及んでいるということ、日本への定着性が認められるということ、これは入管庁がホームページで示している特別在住許可ガイドラインに、プラス面としてあげられている点です。こういう形で市民が彼女の存在をとても大切に、特別に思って、立ち上がって請願署名を集めるということ自体が彼女の日本社会への高い定着性を示しているということを、私は代理人として意見書に書きたいと思っています。またその前提として、私は彼女が本来難民として認定されるべきであると思っています。その両面で書いていくつもりです。」
Q3
—— 今日、入管法改定案が閣議決定されましたが、改定された場合、今の時点でエリザベスさんにどのような影響があるでしょうか。
指宿
「今の状況のエリザベスさんは強制送還されることはありません。ただ2回目の申請が認められなかった場合、その瞬間から強制送還の危険が出てくるということになります。3回目の申請をしようがしまいがです。したとしても強制送還の対象になる。それが今までと違うところです。それが一番大きいと思います。」
Q4
—— 入管法改定法案が書閣議決定されたことについて見解を。
指宿
「今日閣議決定された入管法改悪法案は国際法に違反する内容であり、絶対に通してはならない内容だと思います。何よりも難民申請者を強制送還してしまう、これは、その人に死ねということです。殺すことです。エリザベスさんをナイジェリアに強制送還すれば、明らかにもう命が危険です。危険というのはむしろ控えめな言い方で、本人を目の前にしてこれ以上は言えないですけれども、本当に決定的に危ないです。そんなことが許されていいわけがない。少数民族であるビアフラの解放運動の先頭に立っているエリザベスさんをナイジェリアに強制送還するなんてありえない。実際に何人もの人が殺されています。
また強制送還に応じない人に対して刑事罰を科すことを始めとして、まったくもって間違った法案です。2年前に同じ法案を出して一応断念をした、断念をしたということはそれはダメだという、市民社会からNOを突き付けられたはずなので、ほとんど同じ内容で出してくる、このこと自体が間違っているし神経を疑います。なぜ2年前に法案を取り下げたのか、それはウィシュマさんの事件があったからです。ウィシュマさんの事件について誠意を持って対応し、遺族に謝罪し入管庁として責任をとり、そして改革方法を打ち出していたならば話が違うと思います。謝罪もしていない責任もとっていない、改革なんてことは1ミリもできていない、その状況の中で同じ法案を出すなんてことは絶対に許されない。入管庁には法案を提出する資格がないと思います。」
—— 今回の法案では補完的保護制度を導入して、在特を減らしていこうということのようですが、エリザベスさんのような人が難民認定ではなく、保護対象者になるということは考えられるのでしょうか。
指宿
「まったく考えられません。補完的保護制度でエリザベスさんが保護される可能性はないですし、他の人たちも同じです。結論からいうとそういうことです。」
Q5
—— エリザベスさんに、命に関わる状況で逃げてきたときの当時の気持ちを少し語っていただきたい。それからFGMというものが女性に対してどれだけ暴力的で恐ろしいものかと、お考えをお聞かせください。
エリザベス
「わたしは私のいとこ二人のFGMを見た。そのせいで二人とも死んじゃった。私のお母さんは(FGMで)いろんな問題があったからFGMはいや、私にFGMをさせるのはダメだと言った。いろいろな人が(FGMで)死んでいたから。
ビアフラのこと。私のプレジデンツはビアフラの大統領だ。彼はイギリスの市民だ。イギリスからケニアに行って捕まって、今ナイジェリアの刑務所にいる。でも裁判やった。その裁判は勝った。でも刑務所から出てこれない。インターネットを見るとわかる。もう外に出られない。アメリカの政府がナイジェリアの政府に話してもダメ。
ビアフラはテロリストじゃない。裁判勝ったから、ビアフラはテロリストじゃないって教えられた。ビアフラの人たちは自分たちの国が欲しいだけ。テロリストじゃない。でも、ビアフラのクリスチャンたちは毎日殺されている。そのことはインターネットで調べてください。そのことわかるから。うちの大統領は今ナイジェリアの刑務所にいる。裁判はOKでも出られない。いろんな国にいたビラフラ(独立運動)のリーダーたちが外国からナイジェリアに行って、いっぱい殺された。だから私帰らない。」
指宿
「ちょっと解説します。ちょっと補足説明しますと、エリザベスさんが日本に逃げてきた理由はFGMです。その頃はビアフラの活動はしていません。ビアフラのIPOBと言うその活動は日本に来てから始めています。
FGMの施術を逃れるために逃げてきたということだけでなく、施術をするグループから追われてもいるんです。逃げるときにトラブルがあって施術者に怪我をさせてしまったようで、それでずっと追われている。われわれの感覚からすると不思議なのですが、怪我をさせたから追われているのか、復讐で追われているのか、施術させないのが許せないのか、よくわからないんですけれどもナイジェリア国内でずっと逃げ続けて、逃げられなくて日本にきたという経緯です。で逃げてきたとき、どんな気持ちだった?」
エリザベス
「私の気持ちは・・・ナイジェリアを出てからずっと外国に住んでいる。私は一人っ子だから、お母さんのことは・・私は電話をしてすごく泣いて、どこにいるのというから私は日本にいると・・だからお母さんに1回だけ会って、と思った。でも向こうに行って電話して、帰ってきてはいけない、どこにでも行ってと(お母さんは)言った。だから私はエアポートから日本に戻った。(逃げた時から)お母さんに会っていない。私が捕まったらお母さんは死んでしまうよ。だから会っていない。私はどこに行けばいいか。
2016年、お父さんも誰もいない。
私いつも言う、嘘の難民じゃないよ、(ナイジェリアに帰るくらいなら)死ぬまで刑務所入っている。もう怖くない私。」
駒井
「エリザベスさんは一人っ子なんですね。本当に親御さんから大切に育てられて、とくにお母様はFGMに反対していました。なんとか彼女をFGMから守ろうとしていました。そして身を挺して守ろうとしていた人です。彼女は日本に逃れましたけれども、やはりお母さんに会いたいという、人間として当たり前の気持ちがものすごく強いのですね。お母さんはエリザベスさんのことをとても心配していましたし、どうしてもひと目会いたいということで、耐えきれずにナイジェリアのダボス空港まで戻ってお母さんに電話をしたけれども、お母さんは出られなくて親戚の人が電話に出て来てはだめだと、危ないから来てはだめだと言われて、彼女はまた空港を離れたという経緯だと聞いています。
お母様はもう既に亡くなっておられますし、本当に彼女はどれだけ辛い思いをして日本で耐えてきたということです。帰れるものなら、もうとっくの昔に帰っていたわけです。でもお母様と会えなくて、ずっと日本で耐えてきた。それは難民だからです。
難民を適正に審査して適正に認定できる国であれば、送還停止を外すということも複数回申請者にとって考えうる政策的な転換かもしれませんけれども、難民を難民として保護しない国でそれをやってしまうと人が死んでしまう。ですからいま私たちは法改悪に反対しているわけですし、エリザベスさんを絶対守らなければならないと思っています。」
柳沢
「FGMのことですけれども、FGMは2000年以上も前からアフリカで行われてきた土着の慣習です。それは本当に厳しいもので、小さな子どもや十代の結婚前の女子に対して行われてきた性器切除です。これを拒絶したり抵抗したりする女の子たちも、無理やり性器切除されてしまう。国連機関や各国のNGOの働きかけで少しずつ減ってきてはいますが、地域によっては今でも90%以上の女児がFGMを受けさせられている。FGMのタイプには3つあって、一つはクリトリスに切り込みを入れるとか切り取る、二番目のタイプはクリトリス切除後小陰唇を全部削り取る、三番目は小陰唇を削ぎ取った後、尿の穴と経血の出る穴だけを残して大陰唇を縫い合わせるというもの。そういう習慣がいまでも一部で残っているアフリカの国があるのです。エリザベスさんの出身地はナイジェリアの中でも、伝統的にFGMが行われてきた地域です。そしてそのFGMを拒絶した女の子たちは捕まえられ、無理やり施術されてしまう、家族全員が村八分になるとか、村から追い出される女の子もいます。私は日本で仲間たちと『FGM廃絶を支援する女たちの会』を始めた人間ですので、エチオピアやスーダンのそんな村に行ったことがあって、本当にFGMがどんなに女の人たちを苦しめているか、女の人たちの話を聞いています。
エリザベスのお母さんは、FGMを受けた弊害で、子どもを産むことがむずかしく、10回妊娠して9回流産し、ほんとに苦しんで産むことができたのがエリザベスだけだったということ。エリザベスだけは絶対に守る、絶対にFGMはさせないと固く決心していた。そういうお母さんで、それでFGMを迫る人たちから彼女を逃してくれた。お母さんは彼女の代わりに本当に戦ってくれた。そういう意味でもエリザベスは絶対にFGMを受けてはいけないということがわかっていた。従姉妹が2人、目の前でFGMの出血で死んでしまったのをエリザベスは見ています。彼女は14歳で逃げたわけですから、それ以前から現実に目の前で苦しむ女の子たちを見ていて、自分は絶対に命がけで逃げると固く決心していたと言います。
エリザベスさんはFGMから逃れて日本に来ました。その理由で難民申請をしました。でも、FGMがどれほど危険なことなのかが、日本に慣習がないから難民認定の担当官たちにはFGMの切迫性がどうしてもわからないらしい。だから、文化の違い、社会の違いだと片付けられてしまう。女の人たちがこの慣習のためにどれだけ虐げられてきたか、ピンとこない。なんでそんなに逃げ回るのか、もう何十年も経っているのだから緊迫性はないと。でもFGMの呪縛性はそんなものじゃないのです。本当に命がけで逃げてきた。その間にお母さんもお父さんも亡くなってしまったのですから、エリザベスには帰る家もないのです。
本当に1人になってしまった。もう一つ、彼女は二度入管に収容されているのですが、1回目の収容期間10ヵ月が経って、出所したときにそれまで持っていた彼女の個人的な持ち物が全部捨てられていた。パスポートも写真も何もない。過去を示すものはすべてなくなってしまっていた。だから皆さんのお手元の資料にあるように日本に来て最初の頃の彼女の記録が94年頃とかそういう書き方をしてあるのは、その記録がどこにもないからなのです。入管にもないのだそうです。」
エリザベス
「私のお母さんの写真が全部ゴミに捨てられた。だから私はお母さんの写真を持っていない。家族の写真は誰もない。私が収容された時に友達の写真も全部なくなった。
私が中に入っている時に大家さんが全部ゴミにして捨てた。私が出てきて大家さんのところに行って、私のものは?(と聞いたら、ゴミ捨てたよと)なんで? 全部。写真だけ私は欲しい。わたし、泣いている。」
柳沢
「お母さんの写真も全部ゴミとして捨てられた。子供の時の写真も、全部。」
エリザベス
「そう、全部。いいよ、私(帰ったら)死んじゃう、だから刑務所行く。」
指宿
「入管法が改悪されて(強制送還になったときに)帰国を拒否して刑罰を下されたとしても、ナイジェリアにいって殺されるくらいだったら刑務所に行くほうがましだということを言っています。」
Q6
—— エリザベスさんは、署名運動の結果在留特別許可が出たとしたら何をしたいですか。
エリザベス
「私はNGOを作りたいです。私は日本にきて、最初はあまりよくわからなかった。アフリカ人はあまり自殺しない。だから日本に来て1年に3万5,000人の人が自殺する。私は心が痛い。だから私ビザもらっただれでも自殺したい日本人を助けたい。そして神さまの愛を伝えたい。みんな来てください自殺しないように。」
Q7
—— 柳沢さん、2021年に立ち上げたこのwith Elizabethというグループをはどういう方たちが集まってどんな活動されているのですか。
柳沢
「私はエリザベスさんの存在を「エリザベスこの世界に愛を」というNHKのETV番組を見て知りました。この時エリザベスさんがFGM(女性性器切除)が原因でナイジェリアを出てきたことを知ったのです。私がなぜそこに反応したかというと、私の職業は翻訳家で、当時私はFGMをテーマにしたアリス・ウォーカーというアメリカの作家の『喜びの秘密』という小説を訳していました。その小説のテーマがFGMでした。アリス・ウォーカーはその作品で、伝統とか文化といわれてきたが、FGMは女に対する拷問だとはっきり言っています。小説のテーマはまさにFGMでした。1994年私はこの本を読み、翻訳を始める前にアリス・ウォーカーに会いに行きました。彼女は翌年の95年に北京で国連の世界女性会議がある、そこに行けばアフリカのFGM廃絶運動をしている活動家の女の人たちがたくさん来るからそこに行けば会えると教えてくれました。私はFGMをテーマにした小説『喜びの秘密』の翻訳を一年後の95年の7月に仕上げて、同じ年の9月に北京で開かれた世界女性会議のNGOフォーラムに参加しました。アフリカからはタンザニア、ナイジェリア、エチオピア、エジプト、スーダンからFGM廃絶活動家たちが来ていました。彼女たちは沢山の聴衆に向かって、say no to FGM、「FGMはダメと言ってください!」と言い、会場の女性たちが一斉に、No to FGM!と大声で叫んだのでした。私はその場で、日本にはFGMはないけれどもこのことでアフリカの女の人たちと連帯することができると思った。そして翌年96年の1月に、今日ここに来てくれている友人達は一部そのメンバーでもあるんですけれども、「FGM廃絶を支援する女たちの会 Women‘s Action Against FGM=WAAF(ワーフ)」という団体を立ち上げました。今までずっと寄付による支援金をアフリカの小さな村々でFGM廃絶のために活動している現地の団体・グループに送ってきています。
そういう経過があったので、エリザベスが日本に来た原因がFGMだったということを知り、私はみんなで彼女を守ろうと思いました。でもFGMの理由だけで彼女を支援するのではなく、もう一つ目的がありました。それはエリザベスさんに少しでもホッとする時間を持ってもらいたいということでした。彼女が人助けのために自分の時間をまったくもたない、神様に祈ることと人を助けること、それだけで暮らしているということがわかったときに、もっと彼女が自由に動けるようにと思ってwith Elizabethを立ち上げたのです。
入管から仮に放免されている人、つまり仮放免者は、県外に出るたびに入管の許可を得なければならない決まりがあると聞き、逆に同じ県ならば入管から許可をもらわなくても動いていいんだということがわかって、私は彼女と同じ茨城県に住んでいるから同じように茨城県に住んでいる友達と語り合って、じゃあエリザベスさんを支援する会を作ろうということになった。それでwith Elizabeth、「エリザベスとともに」という会ができたのです。簡単な英語で、エリザベスと一緒に、エリザベスを一人にしない、エリザベスをサポートする、側に立つ、その気持ちで立ち上げた会です。まずエリザベスさんの話を聞く会を開き、次に近所のイベントに招き、クリスマスや忘年会で一緒に食事をしたりゆっくりできる時間を生活のレベルで、同じ県に住んでいる、わずか一時間くらいですぐに会える、そういうところでの付き合いをしたいと思って私たちの方から近づきました。」
村山(with Elizabethメンバー)
「お手元に署名用紙をお配りしているのですけれども、私たちの運動はネット署名だけではなくて、紙の署名も集めようということで広く募っております。私自身は今柳沢さんがおっしゃったようにエリザベスさんとの繋がりはFGMのことなんですね。やはり私も長くこの日本における廃絶運動の支援ということに関わってきましたので。FGMは慣習という言われ方や女子割礼という言われ方を当初されていましたけれども、今は国連及び国連関連機関でこれは本当に女性に対する暴力、女児少女に対する暴力ということでかなり廃絶運動が進められています。ただこれは困難で、今もFGMを拒絶するアフリカの少女たちが命を狙われるというようなことが現実に起こっている。しかもこれは2023年現在、2億人の人が犠牲になっているという現在進行形の問題なんです。そのことからエリザベスさんが非常に辛い思いをして(国には)いられないという理由で日本に逃れてきて、その中で過酷な状況でありながら人に手を差し伸べている、非常に冷たい日本の社会の中で戦っている。今回、私も一日も早く在留特別許可を得て安心して生活してもらいたいと願っています。」
山本(with Elizabethメンバー)
「こんにちは、私はこの会でホームページを作る担当をしたのですが、もともと友達関係ということで、初めにウイズ・エリザベスの会が立ち上がるときに声をかけられて、エリザベスさんの存在をその時初めて知り、知った以上は何か関わりたい支援したいということで繋がったのですが、その後、この署名活動につながるときにより深くエリザベスさんのことを知ることになりました。エリザベスさんがいかにこの30年間活動されてきたか、日本に定着して生活して、どのようなことをしていたのかを全く知らなかったことを思い返すと、何かしたいという気持ちとこれはやはり支えなければいけないことと、会を作った人たちの心意気に強く共感して、私もこの輪に加わることにしました。私の周りの友達に伝えてもまだまだ知らない方が多いことがわかりましたので、知ることが本当に力になるということを署名運動を通じて実感しています。メディアの方にも何かしら伝えていただければ、きっといろいろな方に、知らなかった人に届くではないかと、それがエリザベスさんを支える力になると願って、またこの先も続けていきたいと思っております。」
三井
「2月の20日にchange orgをスタートして、今日は何人の方が署名してくださったかと、1日に何回も何回もチェックいるのですが、今日は1901人ということで、この10倍、100倍が欲しいんです。是非皆さんの力で広めてたくさんの署名が集まるように皆さんのお力を下さい。よろしくお願いします。」
安積(with Elizabethメンバー)
「エリザベスさんのお母さんは10人の子を妊娠して(FGMのせいで)流産を繰り返し、たったひとりの子、エリザベスさんをを産み育てたのですね。そのことは今日初めて聞いたので、いますごく驚いています。
私たち日本の障害者は、1948年から1996年まで優生保護法という法律があって、妊娠、出産ができないよう、不妊手術を強制されてきました。そのことから、わたしはエリザベスさんがFGMから避難されて、日本までやって来たということに激しく共感しました。以前から私もFGMを廃絶する女たちの会にはずっと参加してきました。96年にヤンソンさんがその会を始めたときに、わたしは同じ身体の特質を持つ娘を産みました。同年に旧優生保護法も改訂され、わたしもその会のメンバーとなりました。
このwith Elizabethの会は、そのFGMを廃絶する女たちの会とは別に、エリザベスさんへの支援を目的に、新たに立ち上がったわけですが、わたしも美味しい野菜を作っている友人に頼んで、エリザベスさんに野菜などを送っているので、今回はぜひエリザベスさんに会いたくて、参加しました。
女性の体に対する暴力、アフリカを中心とした国でされているFGMという名の暴力と、日本で障害を持つ私たちが受けてきた優生保護法による暴力は優生思想という考え方で、非常に近いものがあると思います。つまり、命によっては暴力を受けても仕方がない人達がいるのだという分断の仕方、価値観の作り方。この優生思想を”考え方”とすら呼びたくありませんが、残念ながらこれは伝統とか常識となって、人々の意識を蝕み、暴力を拡散させています。
アフリカを中心とした地域の少女達は性器を削り取らなければいけないということと、障害を持った人たちのリプロダクティブライツ・ヘルスはなくても仕方ないというような社会を少しでも変えるために、わたしたちはさらに手を取り合いましょう。
自分の身の危険を顧みず、難民の仲間のために尽くし続けるエリザベスさんには、心からの共感を送り、私も常にそうありたいと思っているので、今日お会いできて本当に嬉しかったです。なぜ私達は賢いはずなのに平和を作れないのかということに対して、みんなが立ち上がってくれることを望んでやみません。そしてエリザベスさんありがとう。ヤンソンさんもありがとう。本当に諦めることなく、すべての人の身体的な平和と、心の平和を求めていきましょう。ありがとうございます。」